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今苦しさを感じている人へ。それは無知によるものかもしれない。

ヨガ
2021.04.28
お仕事のことを中心に日々のつれづれを綴っています。 詳しいプロフィール

ヨガは、私たちが心地よく生きるためのヒントをさまざまな形で教えてくれます。
特にヨガ哲学の中にはそのようなエッセンスが散りばめられています。

ここではヨガの古典の一つである「ヨガ・スートラ」の中から、最近私が意識して自分に言い聞かせている「苦しみとは無知である。そして無知とは何か」という話を紹介します。コロナ禍で苦しい状況の方がほとんどだと思いますが、このエピソードをぜひ心のどこかに留めておくと、ちょっと気が楽になると思います。

そもそも、あなたは何のために生まれてきたと思いますか?

そもそも、私たちはなんのために生まれてきていると思いますか?

答えは人それぞれでしょう。正解もありません。ただ、私はヨガと出会ってから「色々な経験をするために人間として生まれてきた」という私なりの答えを手にしています。

みなさんも自分なりの答えを持っておいてください。

そして私の場合「色々な経験」には「死」や「苦」も当然含まれていると考えています。
つまり四苦八苦です。

でもヨガはどこまでも優しく、苦しみについてもその原因を教えてくれています。

苦しみさえ経験したくて生まれているのに、人はなぜ苦しくなるのか?

私たちが苦しいのは無知だから

ヨガでは苦しみの原因が「無知」にあると明確にしています。
さらに、この無知には2つの種類あるとヨガでは解いています。

1つ目の無知が、まずそのものをよく知らないこと。わからないこと。
例えば、今ならコロナウイルスについてよくわかっていないのでマスクや手洗いでしか対応できず、ずっと不安が拭えません。正体がわかれば、つまり無知から脱却し、適切な対応ができれば不安も恐怖も苦しみも減るはずなのに、無知だから恐れるしかありません。

これがまず1つ目の無知の状態です。

2つ目の無知は「自己」ではないものを「自己」だと見なすことだ、とヨガでは明確に解いています。「自己」とは永遠で普遍的なもので、変化するものは自己ではないとヨガでは教えます。例えば、私たちの肉体は変化していくものなので、自己でありません。その時々に持っている資産や信用のようなものもすべて「自己」ではないということになります。

自己ではないものを「自己=私」と見做してしまうことが何よりも無知であり、それは執着を産むので苦しみになる、とヨガでは教えているのです。

私の体、私の心、私の知識、私のお金、私の地位、私の名誉、私の仕事、私の家族……

本当は何一つ私のものではないのに、私のものだと勘違いしてしまうことで「失いたくない!」とか「理想とは違う!」といった、苦しみや執着が生まれてしまうのです。

この苦しみや執着は無知からやってくる「混同」であり、本当は何一つ自分のものではないのだから、真実ではないし、苦しむ必要などないというのがヨガの考え方です。

真実は「私は、何があっても変わらない自己」であり、自己とはただ「見る者・知る者」だということなのです。

私とは何か、これを常に問うこともヨガ

私とは何か。ここをヨガや瞑想を繰り返し、何度も自分に問いただす必要があります。そうでなければ、すぐに自分ではないものを自分と勘違いし、傲慢になってしまうからです。感謝が欠けてしまうからです。

私とは究極なことを言えば、ただの白い玉のようなもののはずです。今は、たまたまこの肉体を借りて、あらゆる感情を見たり経験させてもらっているだけ。

私たちはこの肉体を通し、痛い、悲しい、失う、苦しい、あるいは楽しい、嬉しい、幸せ、などを「知る」ためだけの存在なのです。

だから何も失うこともないし、何も得ることもないというのが真実です。

このことを知らないことが無知だというのです。

楽しいや嬉しいも、ただ経験するだけで執着しない

楽しいことや嬉しいことが来たときは、同時にそれを失うことへの恐れもやってきます。でもそれらが来るなら、来させるままにして、それがあることを楽しみ、でもそれが出ていく時は、その別れさえ楽しむ。楽しみや幸せも一人でやってきたのだから、去るときも一人で行かせよう。自分の心まで持って行かれないように。ヨガスートラにはこうも書かれています。

ヨガはここまで教えてくれているのです。すごいですよね。

ただそこにいるだけで、また幸もやってくる

この話、ちょっと難しかったでしょうか?

ヨガのポーズではないこういったところが、私は大好きです。

もし今、仕事を失いそうで不安、人と会っていなくて不安、体調が悪い、この先どうなるかわからなくて不安、そんな感情や経験に飲み込まれそうになっているのであれば

・今は不安を経験しているだけで、私からなくなるものは何もない
・不安がどういうものかを見ているだけで、私の幸せや本質には何の影響もない

と自分に言い聞かせてみてください。

そもそも魂が肉体に宿って色々な経験ができる状態である、ということが幸せなのです。そしてあなたの魂がそこでピカピカしている限り、また楽しいことや幸せも一人で勝手に遊びにきてくれる。そういうことを繰り返して経験するために私たちは生まれてきたと思うと、心が軽くなるのではないかと思います。

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